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神楽坂 石かわ

石川 秀樹

CHEF / JAPANESE

食を通した喜びの輪

料理人にして経営者。愛のある信頼関係が食を通して多くの人たちを幸せにする。

石川 秀樹(いしかわ・ひでき)


1965年新潟県生まれ。20歳で上京し、「割烹さくら」「青山穂積」「乃木坂神谷」などで修業したのち、2003年神楽坂に「石かわ」をオープン。同店で育てた若き門人を料理長として、同じく神楽坂の「虎白」、銀座の「蓮」を任せ、渋谷「レストランナンペイダイ」の監修を行うなど、料理と向かい合いながら一龍三虎堂の経営者としてグループをまとめている。

自分の心を整える

かつての花街の色香がほんのり立ち上る粋な町、神楽坂。老舗割烹や料亭が点在するこの地に根を下ろし、食通たちの舌を喜ばせている店がある。石川秀樹氏が2003年にオープンした「石かわ」だ。

 

石川氏が「料理道」に入ったのは、郷里の新潟から上京し、「フリーターをしていた」20歳のとき。何もやることがなく、「昼間はカフェバーで、夜はブティックホテルで清掃のバイト」という日々。「このままブラブラしていてはダメだ。割烹に入れば何かが身につくだろうな」という漠然とした思いから、飛び込みで原宿の割烹「さくら」の面接に乗り込んだ。

「バーを併設したかっこいい割烹でね。雑誌に芸能人がよく来る店として取り上げられていました。それでミーハー気分で、しかもロン毛にはやりの服っていで立ちで社長に会いに行った。完全なアホです。『何しに来たの?』って言われました」

 

そのときに出会った大将が、銀座に「梧洋」を開店した勝又茂美氏だ。石川氏は「当時の僕は休みに何して遊ぼうかしか考えてないんだから、ぼろくそですよ。でも大将はやさしくて、あったかくて。親と同じぐらい恩義を感じてます。今も、いや死ぬまで、大将を裏切っちゃいけないという思いは変わりません」と言う。「さくら」を皮切りに青山の「穂積」、乃木坂の「神谷」などで修業を積み、38歳で独立。この頃から、自分の心を整えることの大切さを学び始めた。

信じるマネジメント

料理人の修業は厳しいことで知られる。それを耐え抜いて初めて一人前になる。そして、才能勝負の世界でもあり、弟子を一人前の料理人に育てるのはかなり難しいはずだ。そんな中、石川氏は10年に満たない短期間で数人の料理人を育て上げ、独立させた。

 

石川氏は、「石かわ」「虎白」「蓮」の3店舗を持つ一龍三虎堂の経営者だ。「虎白」と「蓮」は姉妹店となるわけだが、食材の仕入れから献立づくり、サービスまで、すべてが店主の采配に任されている。つまり石川氏はノータッチ。弟子のやり方に口を挟むことはない。それが彼の奉じる「信じるマネジメント」だ。

「何ができる、できない、失敗した、うまくいった、なんてことはどうでもいい。弟子の行動や成果で信用度が揺らぐようでは、本当の意味で信じていることにはなりませんよね。だから無条件で信じる。何があっても、人として信じて任せるだけです」

 

石川氏はだからこそ、売り上げとか、前年比○%アップといった“くだらない数値目標”は一切設定していない。ただ一つだけ決め事がある。それは原価率を守ることだ。

 

「どの店も一般的に言われている原価率を守りながらやっている中で、“価値”があるものを作るのが料理人の仕事だと思う。やっぱり石かわ(虎白、蓮)は違うよね、とより多くの人に喜ばれ、選んでもらえる店にする努力と工夫を重ねます」

 

 

皆を幸せにする料理人

「石かわ」で特徴的なのは、3店のスタッフたちが寮で暮らすこと。「家賃負担が軽くなるし、人間関係の“嫌なこと”を乗り越えられるよう、あえて共同生活という試練を与えている」。またローテーションで3店を経験させるのは、いろんな環境、人との出会いから多くを学んで欲しいから。底流には、石川氏の愛がある。

 

弟子を始め従業員の和を大切にする石川氏が目指すのは、「一人でも多くのお客さんから、やっぱり世界中のどの店よりも石かわ、虎白、蓮に来て良かったと思ってもらえるように努力をする」ことだ。

 

「そのためにやることはいっぱいある。小さなバリューをいくつもためて、弱点は改善してプラスに転じる。その繰り返しで“下がらない仕組み”を作る。僕は料理ではなく、そういう考え方を教えてるんです」

 

“石かわ育ち”の料理人たちが「食を通して皆が幸せになる、喜びの輪」を広げていくことが、石川氏の望みなのである。

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