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ラトリエ・ドゥ・ノト

池端隼也

CHEF / FRENCH

能登の素晴らしさを料理に

地元に愛されながら外に向かって“能登フレンチ”を発信する店では、能登の豊かな自然の恵みを丸ごと味わえる。

池端隼也(いけはた・としや)


1979年石川県生まれ。辻調理師専門学校を卒業後、大阪の名店「カランドリエ」にて修業を積む。2006年渡仏。星付きレストランで4年半、活躍。09年に帰国。大阪の古巣等を経て輪島にUターンし14年に「ラトリエ・ドゥ・ノト」をオープンした。

故郷愛が生み出す料理

小学校から高校までずっと野球少年。高校3年生の進路選択で選んだのが料理人だった。

 

「野球ばかりやってきた僕は、世の中の職業の数を20も知らなかったと思います。だから、人を喜ばせる、幸せにすることを仕事にと考えたとき、それほど迷わなかったです」と振り返る。そして「一刻も早くこの田舎を出たい」と思っていた池端隼也氏は、大阪を皮切りに料理人人生をスタートさせ、やがてフランスへの憧れを抱く。

 

「大阪で働いていた頃、レストランのシェフにフランスの三つ星店に食べに連れて行っていただきました。マルク・ヴェラ、アラン・シャペル、レジス・マルコンなど地方の最高峰のレストランばかり。感動の連続で、フランスでフランス料理を学びたい、と強く思いました」

それからフランス・ブルゴーニュへと旅立ち、地方の星付きレストランを中心に4年半修業し、帰国。大阪・福島でレストランの開業を目指していた。「福島でお店をやろうと思い準備をしていました。その前に経営の勉強や病気療養中の母と一緒にいようと思い、3カ月間の予定で輪島に帰りました」。この久しぶりの帰郷が転機になる。

 

「輪島に帰って来てから僕が料理人だということで、塗師屋からケータリングを頼まれたり、行政から食のイベントを依頼されたりする機会があり、地元の食材や文化を少しずつ学び始めました。すると、『わー、輪島すげぇ』って。23歳のとき、フランスの三つ星レストランで受けた感動と同じ衝撃が走りました。思えば野球ばかりしていた僕には、故郷の輪島は、『なんにもない田舎』でした。でも、料理人になってフランスでの生活を経た自分にとっては『素晴らしい宝が詰まった楽園』に見えたんです。すぐに大阪での出店をキャンセルし、『輪島でレストランを運営するにはどうすればいいかな』と考え始めました。そして2014年にラトリエ・ドゥ・ノトをオープンしたのです」

 

そんな池端氏の故郷愛が生み出す料理は、能登の海、里、山、磯からの食材が多彩に組み合わされた”能登フレンチ”。今後がますます楽しみである。

建物は元塗師の作業場

「場所がわからない」と電話がきて、迎えに行くことが多いという池端氏。「その回数が多くてちょっとしんどくなってきましたね」と笑う。場所がわかりにくいというよりは、建物が町並みに馴染み過ぎていることが、「店に気づかずに通り過ぎてしまう」理由のような気もする。店の建物はもともと、輪島の主たる塗師屋。だから外観は、黒漆・朱漆を彷彿とさせる、艶のある味わいに仕上げた。内観は一転して、レトロモダンな洋の空間に。格子の引き戸の隙間から差し込む柔らかな光に包まれ、店の奥の蔵の渋い扉が情緒ある風情を醸し出している。設計は、2007年に能登半島地震が起きたときにこの建物を修復した方に依頼した。白藤酒造店の全壊した酒蔵を建て直したのも、能登演劇堂を設計したのもその方だという。

 

「古い建物をとても大切に考えてくださる。ですから信頼して、導線だけを伝え、あとは昔からあったようにしてくださいとお任せしたのです。この物件は、中庭をひと目見て気に入りました! ここを囲む客室でお客様が食事を楽しむ、その温かなにぎわいの風景がリアルに見えたのです。だからこの中庭は今も変わらずお気に入り。ときどき縁側に腰かけ、店というお城を愛おしんでいます」

 

ちなみに写真のサインは、能登出身の漫画家、永井豪氏のもの。来店時に書いてもったという。

能登の食材は宝物

「能登には、新鮮でおいしい食材がたくさんあります。それも素晴らしい生産者さんが近くにいてくれるお陰です」

 

例えば、海女さんが海藻を獲ってきてくれたり、農家の方が「こんな野菜を作ってみたから食べてみて」とわざわざお店まで持ってきてくれる。

 

「都会で料理をしていると感じることができない絆が生まれます。中には使ったことのない食材もあって、いろいろと刺激をもらっています! 今はもう、店で使う食材のほとんどが能登産です」

 

また、すぐ近くには里山があるので、春には山菜、秋には天然きのこなどをスタッフ総出で採りに行く。「こうした能登の自然の中で、料理を作れるのは本当に料理人として幸せです」と話す。

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