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レストラン キノシタ

木下 和彦

CHEF / FRENCH

遅咲きの料理人が奏でる極上の旨さ

ここ10年で、ようやくこの仕事は幸せのお手伝いだと思うようになりました。

心を込めて、それが相手に伝わってこそ。店は人生そのものですね

木下和彦(きのした かずひこ)


1959年福岡県生まれ。1989年、30歳で料理人になることを決意。フランス料理レストラン「レ・シュー」を振り出しに料理業界入りし、「ブラッセリーヴェラ」のシェフを経て、1997年東京・初台に「レストランキノシタ」をオープン。2002年に代々木に移転。

名料理人は少年の心を忘れない

最上級の牛肉のように、もともと逸品だが、近年、さらに熟成されて「食べ頃」を迎えたシェフがいる。30歳で料理人を志し、彗星のようにスターシェフの一人となった木下和彦氏。「おいしいものが食べたい」という思いを素直にぶつければ、笑顔で期待以上のものを出してくれる、料理の申し子のような人物だ。

八千代黒牛に、フォアグラとトリュフを肉が見えないくらいたっぷり載せて。これぞ「レストランキノシタ」といえるサービス精神旺盛な一皿だ。だから、キノシタ通いはやめられない。「お客様から『ここの料理を食べるために仕事頑張って、また来るよ』と言われるのが、涙が出るくらいうれしいんです。誰にも迷惑をかけず、自分の好きな仕事をして、感謝される。こんないい仕事はないですよ。だから健康にも気を使って、少しでも長く続けるのが目標」と木下和彦氏。これほど純粋な60歳もそういない。

料理は人生そのもの

中学時代は陸上の長距離選手。だがその後は「渋谷の親戚の元に身を寄せて、屋台をしたりぶらぶら」していたと言う。料理人を目指し、フランス料理店に入ったのは30歳も間近の頃。「フランス料理店のシェフって、格好よくてモテそう」という不純な動機だった。

 

「それからは大変でしたよ。早朝から夜中まで仕事漬けだし、調理師学校も出ていないから、年下の先輩たちにはものすごくしごかれて。でも負けず嫌いなので一人一人追い抜いていって(笑)、5年で2番手になりました。辞めようとしたこともありますが、叔母に『逃げるの?』と言われ、踏み留まりました」

その後、誘われた「ブラッセリーヴェラ」のシェフを1年半務め、3カ月先まで予約の取れない人気店へと押し上げた。そして、初台に「レストランキノシタ」を開業する。「貧乏人の小せがれなので、失敗するわけにはいかない。保証人になってくれた親に迷惑をかけないよう、絶対うまくいかせようと無我夢中でした」と振り返る。

 

「ここ10年で、ようやくこの仕事は幸せのお手伝いだと思うようになりました。心を込めて、それが相手に伝わってこそ、特別感が生まれます。店は人生そのものですね」

 

青山「ラ・ブランシュ」の田代和久氏が憧れ。「今も市場でばったり会うと緊張しますよ」と、少年のように笑う。進化し続けるスープ・ド・ポワソンのように、料理人・木下和彦もさらなる進化を遂げていく。

牛肉は「八千代黒牛」ひと筋

15年来、牛肉は千葉県匝瑳市の塙牧場の「八千代黒牛」を仕入れています。あるホテルのフェアで食べて、「めちゃくちゃ旨い!」と思ったのがきっかけで、紹介していただきました。塙正一さんという名人が育てているのですが、黒毛和牛とホルスタインの交雑種を上手に育て、純血に劣らないA5ランクをたくさん獲得しています。牛舎にも伺ったことがありますが、すごく清潔で木き 屑くずと牧草のいい香りがしたのが印象的でした。

ごくたまに別のものもとってみたりしますけど、たいていはこの牛です。他にもブランド牛はありますが、普通は生産者までたどれないのです。塙牧場は小さいからこそ、その人が作ったものを持ってきてくれる。思い入れがありますし、物語があったほうがこちらも頑張れます。そこに愛情がありますからね。仕入れた塊の肉を前にして、今日はどうやって切ろうかなと思う時が楽しいです。

 

肉に合わせて、メニューに載せていない料理をご提供することもあります。いい牛肉からはいっさい無駄が出ません。八千代黒牛はそのままで最高の肉なので、いわゆる熟成肉にはしませんが、よりおいしくするために余分な水分を抜き、食べ頃を見極めるなど、日々研究しています。

ほれ込んだ一生モノの鍋

鍋はドイツのメーカー「フィスラー」のプロ用をずっと愛用しています。18年くらい使っていてもいまだに発見があって、毎日、楽しいです。最初の出合いは、お客様でフィスラーの方がいらっしゃって、紹介してもらったこと。当時はまだ日本でフィスラーが売り出されたばかりだったと思います。今では家庭用の鍋としてもポピュラーになりましたよね。

 

使ってみての第一印象は正直、イマイチかなと思ったのですが、使い方が間違っていたんです。ちゃんと使うと、タマネギを炒めても焦げずに甘みが出るし、スープなどはすぐ温まるし、蓋ふたもしっかりしていて気密性が高い。

 

はやりの無水調理が昔からできる鍋です。これはいい、と思って、店を代々木に移転した時に、この鍋を最大限に生かしたいと厨ちゅう房ぼうにプラックを導入しました。頑丈なのはさすがドイツ製で、まだまだ長く使えそうです。

20年先を見越したブルゴーニュワイン

料理に劣らず、情熱をかけてきたのがワインです。特にドメーヌによってはっきりとした持ち味があるブルゴーニュが好きで、ずっと購入してきました。近年、ブルゴーニュは、リリースされた年に買わないと、飲みごろになると高すぎて買えないんですよ。だから最初に買って、しっかりと保管して、“飲みごろ”を待つしかない。ただ、飲みごろになるまで何年もかかるので、僕ももう60歳ですから、そろそろ買うのを控えていかないと大変です(笑)。

 

とはいえ、ブルゴーニュのいいドメーヌは、毎年販売する割り当てが決まっているので、一度やめてしまうと次がなくなってしまいます。すでに思い切ってやめたところもありますが、なかなか好きな造り手は外せません。あと20年は頑張って店を続けて、最高のワインをお客様に味わっていただきたいですね。

初めて飲んだワインが1964年ラ・ターシュ

レストラン キノシタの300に上るワインリストは、大半がブルゴーニュだ。しかも、その数十倍の数のワインが飲み頃を待ちながら、セラーに眠っている。料理人・木下和彦氏はどうしてブルゴーニュにはまったのか。

 

まず「一番好きなブルゴーニュワインは?」と尋ねたら、「値段に関係なく何でも飲んでいいよと言われれば、やっぱりルロワかなぁとは思う。ちょっといやらしいですか?」という答えが返ってきた。「なぜルロワかって、エロいんですよ。官能が刺激される。僕がブルゴーニュに求める最大の魅力はエロさなんです」と言う木下氏。一瞬にして笑みが広がった表情に、ブルゴーニュ一筋に二十余年の愛情があふれた。

 

「はまったのは30歳近くになってからですね。初めて飲んだちゃんとしたワインが1964年のラ・ターシュだったんです。すごいブルゴー

ニュ好きの友達がいて、でも彼はアルコールに弱くて、誰かと一緒に飲まないと1本空かないんです。で、たまたま僕が相手をして『何これ、むちゃくちゃうまい!』と。その時は分析できなかったけど、今思えば果実味がしっかりあって、裏に酸も隠れてて、アルコールとかタンニンとか全てのバランスが良くて、だから飲みやすくて甘くてうまい。それがいいワインなんですよね。頂点から始められたのはラッキーでした」

その後、木下氏の“師匠”になったのは、店をオープンして間もない頃に知り合ったル・ブルギニオンのシェフ、菊地美升氏。彼から「これは今は無名のワインだけど、絶対に次代のスターになる」などと教わったという。「ド二・モルテやメオ・カミュゼ、ジョルジュ・ルーミエ、グロフィエ、ルロワ……いいワインを紹介してもらって、その頃から買い始めた」ことが、今につながっている。

 

「ワインで一番大事なのは、ヴィンテージよりドメーヌだと思う。だからブルゴーニュのワインにはどの年のものでも、ルロワ味とかグロフィエ味とかが絶対にある。それが一番の魅力ですね。難しいのは飲み頃です。例えば90年のヴォギュエのミュジニーは、最初は全然飲めなかった。それが去年ぐらいにいきなり、隠れてた甘さがバーンと出て、おいしくなりました。そういう変化は、数本買ったくらいじゃ分からないですね。

ケースで買って、飲み頃を見つけてあげなきゃ。比較的いつ飲んでもおいしいルロワだって、飲み頃じゃないと恍惚感(こうこつかん)ないですから。あと、ルロワが力を発揮するのはドメーヌになって後の90年以降と言われますが、88年だって飲み頃だと超エロいですよ」

 

意外にも、木下氏がドメーヌを訪ねたのは、この秋が初めてだとか。

「ブルゴーニュのドメーヌのすばらしさを再認識しました。レストランで強い日差しを受けながら、ハエが舞う中で飲んだドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の2000年のグラン・エシェゾーは強烈な思い出です。心残りは、ミシュランの三ツ星を持つパリのレストラン・ルドワイヤンでコシュ・デュリが飲めなかったこと。料理に合わないって、断られた。気が弱いんで『僕はこれが飲みたいんだーっ!』とは言えず……」

現地を体感した木下氏。ブルゴーニュへの愛情は深まるばかりだ。

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