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ヴィラ・デラ・パーチェ

平田明珠

CHEF / ITALIAN

風土・風景ごと食す

日々、野山や海辺を歩き、地元の人々と交流する中で、“眠っている食材”を発見しては、風土・風景をも盛り込んで作られる料理。

平田明珠(ひらた・めいじゅ)


1986年東京都生まれ。大学卒業後、一般企業に勤めた後、都内イタリア料理店で修業。2016年に石川県七尾市に移住。「ヴィラ・デラ・パーチェ」をオープン。生産者と料理人を結ぶ「能登F-Fネットワーク」の理事を務める。

能登の自然を味わう

店を開いて4カ月ほど経った頃、客足がガクンと落ち、平田明珠氏は能登で作る料理と対峙したという。

 

「最初は能登の食材を使って、今まで学んできたイタリアの郷土料理を作ることにこだわっていました。能登の食材はものすごく良いのに、なかなか遠方からの客足が伸びない。店が暇で時間はたっぷりあったので、RED U-35という若手料理人の大会に出ることにしました。結果、トップ20 には入れたものの、上位者とは料理人個人としての差を強く感じました。どれだけ良い食材があり、いい生産者がいても、それをただ料理に落とし込むだけでは外から人は呼べない。それからです、能登の豊富な里山・里海の自然の恵みや、独自の食文化、そして自分の料理人としての個性を見つめ直そうと思ったのは。実際に能登の食文化を料理に取り入れるには、熟鮓や魚醤などの発酵文化、海女さんが獲る海藻類、市場で流通しない地元のおばあちゃんが山で採ってくる山菜やきのこ、これらはすべて欠かせないものでした」

 

こうして平田氏がたどり着いたのが、「地元で眠っている食材を探して回り、そこで見た景色を含めて料理をする」ことである。

 

「だんだんとただおいしいと感じるだけではなく、能登の自然をそのまま味わってもらえるような料理を作ることを目指すようになりました」

 

野趣あふれる極旨の“能登料理”は、確かに平田氏にしか作れないものだ。

イタリア行きの切符が能登に変わった日

平田氏が最初に勤めたのは、大泉学園にあったレストラン。イタリアでの生活が長かった女性シェフの作る料理は現地感が強く、生ハムやサラミもすべて手作り。また自家菜園があって、皆で畑仕事もしていて、料理、ワイン、飲食店の基本を一から学びんだ。

 

この店を退職した後、イタリアでの修業を目標に複数の店で経験を積んだが、転機となったのは代々木上原のビストロでスーシェフを務めていた頃、食材の視察で、全国を回ったこと。それまで計画していたイタリア行きをやめたのは、「イタリアでの経験よりも、全国の産地とつながっていることの方強みになる」と思い、視察を続ける中でたどり着いたのが能登の七尾。豊富な食材と地方での暮らしに魅せられ七尾での独立開業を目指すようになった。何回も足を運ぶうちに人のつながりもできたことが移住の決め手になり、2016年に自分の店を持つという夢をかなえることができた。

 

「今、能登に移住して4年目。イタリア料理という枠も取り払って“能登に腰を据えた自分にしか作れない料理”を構築しようと日々の仕事に励んでいます」

自生する草や実を自ら収獲

この果実は「ムベ」という、日本全国に自生しているもの。アケビに似ているが、開裂はしない。マンゴーや柿に似たフルーティーな優しい甘み。可食部を裏ごしし、ソースとして使っている。昔は子供がおやつで食べたようだが、今は取る人がほとんどいないという。しかし、これを食べると長生きするという言い伝えが全国にはあって、かつては天皇陛下に献上していた地域もあるそう。

 

「このままだと能登の食文化から、ムベが消えてしまうので、僕が料理人として伝えていきたい。ムベに限らず、自生する食材を自ら収穫し、積極的に使っています。畑や田んぼの脇には野草が、裏山には天然きのこが生えているし、能登の自然を感じられる食材をどんどん使いたいですね」

オーベルジュとして再スタート

「ヴィラ・デラ・パーチェ」は、秋ごろには移転、オーベルジュに生まれ変わる。というのも、レストランに遠方から来てくださるお客が増えるにつれて、『泊まれるとうれしい』といった声をよく聞くようになり、いずれはオーベルジュにしたいという思いが強くなっていったという。

 

「宿泊までしてもらえれば、食事とともにゆったりと流れる能登の時間を存分に体感してもらえますし、より小規模にして客単価を上げることで、その分料理を作り込めるようになります」

 

今、オーベルジュを建てているのは、平田氏が初めて能登を訪れたときに、和倉温泉から北へ海沿いの道を走って一目惚れした土地。宿泊は1日1組4名様までの予定だ。

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