SCROLL PAGE TOP

レストラン タテル ヨシノ 銀座

吉野建

CHEF / OTHERS

前進するレジェンド

フランス料理界のレジェンドは、迫力を保ちながらますます研ぎ澄まされていく。尽きるこのないパワーが込められた料理を味わいたい。

吉野建(よしの・たてる)


1952年鹿児島県生まれ。1979年に渡仏、「ジャマン」などで修業。帰国後、小田原に「ステラマリス」を独立開業。再渡仏し、1997年にパリに「ステラマリス」をオープン。現在は銀座の他、汐留などにも店を展開。

さらなる未来へ

フランス料理の揺るぎない格調を備えながら、現代的な軽やかさもある。ベテランシェフだからこそ到達できる深みと迫力、繊細な味の表現。それが、吉野建氏の料理だ。

さらに、67歳を迎えた今でも、フランス料理に対する熱意はまったく衰えない。吉野氏はなにしろ、“日本人がフランスで自店を開く”という偉業を90年代に成し遂げたほどの情熱の持ち主。さらにその前、80年代の半ばから、吉野氏はパワー全開で日本のフランス料理会を牽引し続けてきた。

 

80年代の半ば、フランスの一流店で修業した料理人たちが次々に帰国、シェフとして存分に腕を振るうことで日本のフランス料理界は大いに活況を呈していた。その中心人物の一人として活躍していた吉野氏だが、実はその間もずっと“フランスで勝負したい”という思いを持ち続けていた。そんな中、フランスでシェフに就く話を得て、渡仏。この話はさまざまな事情で頓挫してしまうが、逆境をはねのけ、吉野氏は97年にパリに自店「ステラマリス」をオープンする。

 

「もう、料理への情熱が最高潮に燃えましたね(笑)。何でもやってやる! 絶対に、フランスの舌の肥えたお客を感服させるんだ! と、アクセル全開。毎日が全力勝負でした」

スペシャリテの誕生

今に至るまでお客に愛されるスペシャリテも、この時期多く生まれた。「ちりめんキャベツ、フォアグラ、黒トリュフのテリーヌ」、「野うさぎのロワイヤル」の他、「テット・ド・ヴォー ウミガメ風」「ジビエのトゥルト」なども、現地の食通の間で高い評価を得た料理である。これら20年来のスペシャリテが今なお古びないのは、それだけ当初から完成度が高かったから。そして時代に即して細やかに調整を加えてきたからに他ならない。

 

「僕は過去は振り返らない。いつも前だけ見ている。新作だって、常に考えていますよ」と笑う吉野氏。“長年のスペシャリテ”という誰もが持てるわけではない宝、そして尽きることのない料理への情熱とともに、さらなる未来へと進む。

料理で使いたい草や木を育てる

吉野氏のモットーは「前進」。パリで念願の自店「ステラマリス」を開いたのが1997年。2003年には東京にも店をオープンし、以降も店を増やしたり、プロデュースを引き受けるなど忙しくしてきた。13年にパリの「ステラマリス」を閉店するまでの10年間は、2週間パリ、2週間東京、その合間に監修している和歌山や直島の店、さらに実家の喜界島という具合に旅人のような生活だったという。これから出店を含め、まだまだ攻める予定で、スタッフを育てることにも力を尽くしている。

 

「このような仕事人間ですから趣味はあまりないのですが、最近は植物を育てるのが楽しいですね。ベルベーヌやローリエなどのハーブの他、オリーブ、ネズ、ハシバミなど料理で使える実のなる木の苗木も育てています。一部は、直島などプロデュースしている店に植え替えて、大きく育てている最中。いつか、自分の料理で自家栽培したナッツやスパイスを使いたいと思っています」

若き日のフランス修業

「フランスでは27〜28歳ごろから5年間ほど修業しましたが、楽しかったですね。もともとは、自分の店を東京で開業する計画を進めていて、オープン前に本場を見ておこうという軽い気持ちでフランスに行ったんです。でも三つ星店で食事をしたら、あまりのおいしさにショックを受けて。“日本に帰っている場合じゃない!”と、目が覚めた」

 

吉野氏はフランスに残って修業すると即決。仕事は日本での経験があったものの、言葉が全く通じず、最初は猛烈に忙しいビストロに入って言葉を覚えるところから始めた。数カ月もしたら慣れてきて、実力勝負でステップアップ。お店もいくつか渡り歩き、貯金しては「トロワグロ」や「ジャマン」などの超一流店の厨房で研修。「昔は皆、そうやって三つ星店で学んだものです」と振り返る。

料理人一覧ページに戻る