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招福楼 東京店

中村成実

CHEF / JAPANESE

日本文化の総合表現

滋賀県に本店を構える「招福楼」の哲学を体現した東京店。どこを切り取っても一流の風格を見せる名店だ。

中村成実(なかむら・しげみ)


1955年滋賀県生まれ。「招福楼」の主人である中村秀太良氏の次男として生まれる。学生時代は妙心寺霊雲院にて小僧として過ごし、その後得度。80年より家業に戻り、92年より4代目を継ぐ。

 

文化人としてのもてなし

お茶と、その根底にある禅の思想が、中村成実氏と「招福楼」の哲学を形作っている。中村氏は、京都の名刹、妙心寺にて学生時代住み込みの小僧として過ごし、その後得度して修行した経験の持ち主。家業に戻ってからも師との交流を続け、また茶の湯を身につけた。料理屋の主人でありながら、文化人として日々、客人をもてなす。「“料理人をめざして職人になるな。文化人になれ”というのは、父の教えなんです」と中村氏。父親の秀太良氏は、文化の粋が集まる現在の「招福楼」を作り上げた人物である。

 

「建築がわかる、陶芸もわかる、花も生けられる、食材もわかる、料理もわかる。それぞれ専門家がいるけど、全部を知るのが文化人。料理店の主人はすべて扱っているのだから、すべて勉強しなくてはいけません」

 

これが、招福楼を形作っている思想だ。一歩足を踏み入れると別世界が広がる。料理もまた、その世界の一部。料理を食べることで、季節ごと、文化ごといただく。そんな体験を提供する店である。

お茶の心に学ぶ

丸ビルが竣工した2002年、その36階に「招福楼」の東京店はオープンした。本店と同じ哲学を反映し、ビルの中にありながら、日本文化の粋を伝える静かな雰囲気を備える。とりわけ座敷の「十方の間」は、重要文化財である大徳寺孤篷庵忘筌席の写し。細部に至るまで小堀遠州好みの趣向が再現された、格調高い空間だ。また、そのほかの小間や椅子席は、落ち着いたしつらえと窓の外に広がるビル街の景色の両方を楽しめる造り。中村氏が考え抜いて実現した設計だ。

 

「私どもは料理屋ですが、料理だけを考えることはありません」と中村氏。「たとえば、来月になったらこの器を使いたい。であるなら、これに映える料理は……という具合に、全体で考えます」。なので、料理人の個性が出る幕はない。

 

「今は個性の時代ですので、逆行しているのでしょう。でも、競争になっている中に入っていくのは大変(笑)。競争で、他との比較の中で評価されるあり方は好みません。料理やもてなしの本質は、別のところにある。それをお茶の心から学んでいます」

 

床の間と掛物は、座敷の品格を決める大切な場。特に掛物は、季節を伝えるもの。今回ご紹介するのは「一花開天下春」。遠州流茶道の12代家元、小堀宗慶による書である。

 

「日本料理は総合芸術であるとよく言われます。この東京店には、月に一度、近江八日市の本店から翌月分の掛物や器を持ってまいります。今月はどれを持ってこよう、どんな組み合わせで空間を演出しよう……。じっくり時間をかけて悩むのもまた、楽しい時間です。日本料理は、考えることが本当にたくさん。仕事と思っていては体が持たない(笑)。趣味であり、生き方です」

お茶の道具をアジアで探す

「私は表千家の茶道をやっておりまして、北海道から九州まで全国に仲間がいます。そうした仲間が折々に開く茶事に集まり、各地の料理をいただくのがこの上ない楽しみです。料理人の料理というものはどうしても似てしまうのですが、生活に根ざしている主婦の方、ご主人の方のお料理には特色がある。土地ごとの手料理を食べると、目から鱗が落ちることが多々あります」

 

中村氏にとって、こうした仲間と海外に旅行するのも充実した時間。ベトナムやラオスに行ったときの最大の目的は、お茶の道具を見つけ出すこと。「海外の全くお茶っ気のない環境の中から、自分たちのセンスで見つけるのが楽しいのです。骨董市を訪ね、これは炭取に、菓子器に……と選び、互いに戦果を見せ合う。そして帰国して箱を作ると、それらしい道具になる(笑)」と話す。

 

しかし実際、お茶の道具の本質というのは、名人が作ったかどうかではなく、どんな機会で見出され、どれだけ長く、どう大切に引き継がれてきたかにあるのという。物そのものではなく、どれだけ人の気持ちが入っているかが大事。お茶のそうした考え方は、目に見えるもの、目先のものばかりに注意が行きがちな私たちの生活に別の視点を与えてくれる、本当に貴重なものなのだ。

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