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三科 惇

CHEF / JAPANESE

若き料理人は妥協することなくシンプルさを追求する

美食の街・神楽坂に咲いた蓮のごとく潔く清らかな「蓮」の料理。移転した銀座のカウンターで新しい挑戦へ

三科 惇(みしな・あつし)


1983年神奈川県生まれ。調理師学校卒業後、学校職員を経て川崎日航ホテル内「築地おつぼ」にて修業。その後「石かわ」「虎白」を経て「蓮」に。2013年からは同店の料理長を務める。旬の食材をシンプルに仕上げた、ごまかしのない透明感のある料理が得意。

 

簡素さを追求する

石川秀樹氏の神楽坂「石かわ」の姉妹店としてオープンした「蓮」。

その蓮が2018年の6月に神楽坂から銀座に移転した。

料理長の三科惇氏は、料理人が憧れるこの土地でも今までと変わらず、徹底した集中力で料理を追求。

ぬくもりのあるカウンター対応もそのまま。シンプルで凛(りん)とした料理が、多くのお客を喜ばせている。

縁ある銀座の地で料理に心血を注ぐ

神楽坂「石かわ」の石川秀樹氏は、「虎白」「蓮」も含めた合計3店舗の日本料理店を経営し、それぞれに自分の愛弟子を料理長に据えている。

虎白の料理長は小泉瑚佑慈氏、蓮は三科惇氏。石川氏は「自由にやりなさい」という方針で、献立も味作りもそれぞれの料理長に任せている。三科氏は2008年にオープンした虎白、その翌年にオープンした蓮で、7年間に肩を務めてから30歳で蓮の料理長に就いた。料理長の話が決まってから、三科氏は石川氏や小泉氏の生活を徹底的になぞることで自分を鍛えた。

 

「お二人とも、四六時中献立のことを考えているんです。お店の最後まで残って考え、試して。休みの日も考え……。妥協が全くありません」。その上で生まれるのが、シンプルながら、細部までしっかりと詰めて考えられた、凛とした料理。

「私も、今はずっと献立のことを考えていますね。好きなので全く苦ではないのですが、時間がない。136時間くらい欲しいです(笑)」

 

なお石川氏の経営する3店舗は神楽坂にあったが、2018年の6月に蓮のみ銀座に移った。石川氏の師匠である勝又茂美氏の店「梧洋(ごよう)」を引き継ぐ形での移転だ。春日杉の扉、木曽檜の一枚板のカウンター、さりげなく配される骨董(こっとう)。隅々にまで勝又氏の美意識が宿った店を三科氏が継承する。

「勝又さんは、実は私の最初の師匠でもあるんです」と三科氏。勝又氏が川崎で料理長を務めていた店で、三科氏は調理師学校時代にアルバイトとして働いた。卒業後は、調理師学校の職員を務めるも、しかしやはり現場に出たい、という三科氏を迎え入れたのが勝又氏だった。

 

「なので、梧洋を蓮が引き継ぐという話を聞いた時は、勝又さんとの特別なつながりを感じました。身が引き締まります」

料理人の晴れ舞台とも言える銀座。抱負はあるか問うと、「店の中に入ってしまえば以前と同じ」と、気負いがない。あくまでも地に足をつけて、今まで通り料理で喜んでもらうことに心血を注ぐ。

研ぎを通して、職人の姿を教えてくれた義門さん

「包丁は、和食の料理人にとってもっとも大事な道具。特に思い入れの強い包丁4本を紹介します。

一番左が、私の最初の師匠である勝又茂美さんから譲っていただいた一本。その隣が、親方(石川氏)から小泉(瑚佑慈・こうじ)さんへ、その次に私へと渡ったもの。さらに隣が、私が今実際に一番よく使っているもの。以上3本は、柳刃(刺し身包丁)です。そして一番右が、珍しい両刃の出刃包丁。

 

これらの包丁はいずれも、埼玉県春日部市の包丁職人、義門(よしかど)さんの作によるものです。義門さんはもう10年ほど前に亡くなられたのですが、私は6~7年ほどお世話になったでしょうか。

 

若い料理人がまず買う包丁は、基本となる薄刃、出刃、柳刃です。義門さんの場合、その支払いは毎月1万円ずつというシステム。そして支払いが終わる頃に、次に必要な包丁――ふぐ引き包丁、さらにその次は鱧切り包丁という具合に――が出来上がっていて、それを買う。新しい包丁のお代を、引き続き毎月1万円ずつ払っていく。この繰り返しです」

研ぎ修行はまるで道場

「勝手に次の包丁が作られているから、『もしかして自分は都合のいいお客?!』なんて当時は思ったこともあるのですが(笑)、今思えばとんでもない。義門さんは、若者の修業に並走してくれていたんです。こちらは、次の包丁を目指して熱心に修業をする。おかげで、早いスパンで仕事を覚えることができました。

 

あと自分は、月に1度くらい春日部まで足を運び、ほぼマンツーマンで義門さんに“研ぎ”を教えてもらっていました。その日は朝10時ごろから義門さんの前で包丁を研ぎ始め、お昼には奥様がいつも準備してくださるおいしいご飯を食べてから、また夕方ごろまでずっと研ぐ。まるで道場です。私が研いでいる間、義門さんは横でプラモデルなんか作っている(笑)。でも、研ぎの“音”はしっかり聞いていました。音で、動きがブレてないか、刃が正しい角度であたっているか、私がちゃんと集中しているか、判断する。それで時折、厳しい指導が飛んでくるんです。1日がかりで真剣に研ぐので、終わる頃にはへとへと。合間に交わした会話も含め、すべてがかけがえのない勉強でした。

 

写真の一番右の、両刃の出刃包丁は、義門さんが亡くなってから遺作として譲っていただいたもの。刃がものすごく分厚くて、作るのが非常に難しいのだそうです。大きな鯛やクエの頭を割る時に使うものなのでしょうが、義門さんの思い出があるので、なかなか使えませんね……。それほど、私にとって義門さんは大きな存在なのです」

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